カイロプラクティック学院との出会い
カイロプラクティックはもともと興味がありましたが、まさか自分がその世界で働くようになるとは思っていませんでした。
本屋で立ち読みをした一冊の本、資格の本でした。
そして、この時に学院の名前、電話番号を写し取っていなかったら今の自分はいなかったと思います。
その後、その本やに行った時にはその本はありませんでした。他の資格の本はありましたが、大阪のカイロプラクティックの学校について記載しているのは、その本だけだったのです。
他の本屋で探しましたが、どこも東京の学校ばかりでした。
大阪だったので、高知からある程度通えると思っていましたし、高知港から大阪南港までのフェリーがあったのはとても大きかったと思います。
今は無くなってしまってとても残念ですが、私はバスよりは、フェリーが楽だと思っています。夜9時に出発して、朝6時ころに到着。ベッドで寝ている間に着くのでとっても楽でした。
5月の休みの日に、有馬温泉に泊まりに行く車の中で、妻にカイロプラクティックを大阪に習いに行きたい旨を伝えました。妻には、苦労を掛けるのに、快く背中を押してくれました。
その後は、カイロプラクティックのことで二人は盛り上がってしまい、有馬温泉は、カイロプラクティックのことしか覚えていない残念な結果になってしまいました。
帰宅後、学院にすぐに電話をし、学校見学に来るように言われ学校見学をしてきました。ただ、私の心は決まっていたので学校見学は必要ないように思いましたが・・・
見学後、大阪で勉強しに行くと考えると心細くなったりもしましたが、今すぐに行動をしないと余計心が負けてしまいそうに感じ、直ぐに、入学願書を送付しました。
ウィークリーマンションを借りたり、短期間の時はホテルを借りたりと、ただホテルの場合昼間は、部屋の掃除が入るため居場所がなくなってしまい困ってしまったことを覚えています。
カイロプラクティック施術院を開院して、はや20年以上が経ってしまいました。開業当時は腕も悪く、それでも見捨てずに通ってくださった沢山の方に支えられて、それなりの腕、技術を身に付けることが出来ました。
私が、感じていることは、施術者が伸びていくか行かないかは、その人が将来の自分にどのくらいの夢を持っているか、どんな施術家になっているかの思いの差ではないかと思っています。

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